宝塚市雲雀丘1丁目「旧安田邸」のリビングヘリテージ化チャレンジ

宝塚市は、『宝塚100選』の一つ、雲雀丘の『旧安田邸』の無償譲渡先を探しています。
阪急宝塚線「雲雀丘花屋敷」駅徒歩2分の立地で、歴史的価値がある『旧安田邸』を継承して、みんなの文化財として活用再生することで、地域、ひいては日本の文化と歴史を紡いでいきたいと考えています。

【事業構想】

宝塚市より土地の貸与(有償)を前提とした建物の譲渡(無償)を受け、推定1-2億円のコストを負担し、例えば食やアート、子供などをテーマとした多目的施設等など、地域からも愛される用途に転用する事業体を募集します。

【物件概要】
(所有者)宝塚市 (平成22年(2010)市に寄贈)
(所在地)兵庫県宝塚市雲雀丘1丁目2番26 号  
(敷地面積)1518.09 ㎡(459.22 坪)[公簿]
(築年数)[主屋]大正10 年(1921) [旧鈴木邸]昭和62年(1987)築
(構造規模)[主屋]木造瓦葺3階建 [旧鈴木邸]木造スレート葺2階建
(延床面積)[主屋]277.35 ㎡(83.90 坪)[公簿]  [旧鈴木邸]97.72 ㎡(29.56 坪)[公簿]

文化財指定等 : 宝塚市都市景観形成建築物等(第2号)、ひょうごの近代住宅100 選
法令に基づく地区指定等 : 第一種低層住居専用地域、高度地区、建ぺい率 50%,容積率100%、準防火地域 雲雀丘都市景観形成地域
接道状況 : 市道1298 号線(敷地北側)

【建物来歴と文化的価値】
旧安田邸は、安田辰治郎(明治19(1986)年~昭和20(1945)年)による建築。辰治郎は大阪市立高等商業学校を卒業後、三井物産に勤務、1910年代にニューヨークに滞在した経験を元に、帰国後、当時アメリカで流行していたクィーン・アン様式をイメージして、日本の大工(伝聞では山城とも滋賀とも)の手で建てられたと伝えられている住宅です。

北面は3連のアーチ窓がアクセントになっているシンプルな外観、南面は庭園を取り込むように3棟が配置され、三角屋根や五角形の出窓など屋根や窓の形状が変化に富んでいます。屋根はスレート風セメント瓦葺で、外壁は木片や切石を貼り付けた上に荒いスタッコ塗など多様な材料を使用する傾向に、当時アメリカで流行していたクィーン・アン様式をイメージしたものとみてとることができます。西洋的な生活習慣が中流階級にも広まりつつある時代、敷地内に和館と洋館を併存させたり、和風の主屋に洋室を一室付加するような形態が多く見られていましたが、当住宅は、和室部分は外壁との間に縁を設けることで調和を図り、外観は洋館であっても、内部に純和風の座敷を意欲的に取り込んでいます。また西洋的な空間に、白竹や網代など日本的な素材を巧みに取り入れたり、マントルピースや造り付けの食器棚など、日本と欧米の住宅建築や暮らしを熟知して計画された、質の高い和洋折衷住宅であり、文化財としての価値も認めらます。

【地域の中の旧安田邸】
現在の雲雀丘は兵庫県宝塚市の東端、川西市と接する場所に位置する住宅地。阪急雲雀丘花屋敷駅の北側は勾配のきつい傾斜地となっていて登りつめると遠く大阪湾を望むことができます。
今もこの南斜面に当時の面影が残る洋館などのお屋敷が扇のように点在し、その扇の要のように駅から歩いて2分、丘の麓に当住宅があります。
当時、箕面有馬電気軌道沿線の郊外住宅地としての発展の兆しと、土地開発ブームという気運の高まりを背景に、雲雀丘の住宅開発が始まりました。土地開発業者であった阿部元太郎が、郊外住宅の可能性を求めて大正4年(1915)に土地を購入し、次年度頃から開発に着手しました。当時果樹園だった丘陵地の豊かな可能性を活かしたモダンな郊外型住宅街をイメージしたといわれ、自然環境との調和を重視した豊かな景観をもつ住宅地として、電線の地中化や自家水道、下水道も備える良好な住環境を形成することに成功した住宅地です。
個々の住宅はそれぞれ住民の趣味を反映していて、建物形態も経緯もさまざまな中、旧安田邸は、雲雀丘地区の形成過程の起点となる建物です。

【この企画に関する問合せ先】

一般社団法人リビングヘリテージデザイン Mail : info★livingheritagedesign.jp (★を@に置き換えて下さい)

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