池浦邸
国登録有形文化財
六甲山地南麓の阪神間で大正末期から昭和初期にかけて開発された郊外住宅地の一つ、翠ケ丘町に建つ大阪の海運会社役員の住宅です。表門は控えめながら丁寧な造りの腕木門に、和館に洋館が接続して和洋の意匠の取り合いが巧みな主屋が続きます。西側和館は、つし二階建で、庭に面した端正な座敷は数寄屋風の意匠が施されています。東側洋館は二階建で 階段廻りにチーク材を用い、ステンドグラスのモチーフには海に灯台、かもめが飛んでいて、ヨットには男の子達が楽しそうです。海運商らしくまたご家族想いのありし日を物語るかのようです。
竣工年
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1933年(昭和8年) |
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所在地
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芦屋市翠ヶ丘町 |
構造・規模
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木造2階建、瓦葺 |
建築面積
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135㎡[官報による] |
設計者
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灘大工業組合 久保井工務所 |
施工者
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宮大工・棚橋甚太郎 |
経緯
近年頻発する災害によって文化財の被害も相次いでいます。芦屋市も例外ではなく、大正期から昭和初期にかけて建設された邸宅の多くが、この地域らしい景観を作り上げていましたが、阪神・淡路大震災を境に風景が変わってしまったといっても過言ではありません。現当主のお祖父様が建てられた池浦家住宅も応急危険度判定で「危険」と判定され、『全壊』と診断されていたそうです。壊すには忍びないとなんとか復旧させることを決断されましたが、その後も建物の維持には様々なご苦労があったようです。これからも大切に住まい、さらに次世代につないでいきたいと、登録有形文化財に登録されました。