フジカワビル
大阪市内のメインストリートのひとつである堺筋に面して建つ村野藤吾設計のオフィスビル。美術作品と社会の隔たりの解消に向かおうとする1950年代に、西洋の美術作品を紹介する役割を期待された「フジカワ画廊」のために、当時の大阪財界の支援とその一環ともいえる村野藤吾設計で建築された由緒を持つ。そのため、美術館のような1-2階吹抜けの一体空間が最大の特徴で、元社長室である2階居室は吹抜けと一体空間であるにもかかわらず、共用廊下からしか出入りできない動線としているのがおもしろい。建物の正面は、中央に横長連続窓を挟み込んだガラスブロック窓があり、両端にベランダが設けられるという構成である。
つまりガラスとガラスブロックとベランダという3種類の「空」がビルの正面を覆っていることになる。何種類もの「空」が隣接するデザインは、その後の村野の作品にたびたび用いられることになる。
ベランダの手すり子は、2階の両端で同じデザインの手すり子が裏返しにして用いられ、鏡像関係をなしている。また3階と4階とでは、2階と異なる2種類のデザインの手すり子が、左右入れ替わる形で配置されている。手の込んだ操作による、村野ならではのデザインだと言える。
なお1階店舗には村野が設計を手掛けた家具が現在もいくつか使用されている。1-2階店舗内の螺旋階段は1969年、村野の設計により設置されたものである。
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竣工年
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1953年(昭和28年) |
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所在地
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大阪市中央区瓦町1-7-3 |
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構造・規模
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鉄筋コンクリート造陸屋根地上5階地下1階 |
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敷地面積
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187.90㎡(56.84坪) |
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建築面積
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153㎡(46.28坪) |
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設計者
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村野・森建築設計事務所 |
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施工者
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大成建設 |
設計者について
村野藤吾(むらのとうご)(1891-1984)
経緯
2007年にフジカワ画廊の東京集約以降、ビルを所有するフジカワビル(株)は画廊跡でアートギャラリー(貸しギャラリー)を運営する傍ら、4-5階を賃貸化し、自主管理でのテナントビルを目指した。
2008年頃から、みんなの不動産との関係が始まり、2009年、手始めとして、画廊の倉庫として使われていた屋上のペントハウスを活用するアイデアを採用し、美容室を誘致、以後、4-5階のフロアをリノベーションしながらテナントビル化が進む。続いて貸ギャラリーとして運営していた3階をテナント化した際にフジカワ画廊大阪支店が復活。
そして、ビル存続のために、ついにフラッグシップスペースの1-2階を賃貸化する方針が決定されたが、「美術館のような吹抜け空間」の利用が収益化のネックとなり難航。
ついに、2015年楽器商・丸一商店の誘致に成功し、内装設計を高岡伸一建築設計事務所が担当した。
2019年からは、みんなの不動産/末村が建物管理を担い、ビルへの共感度の高い入居者を見出し続けることに努め、2021年には登録有形文化財となり、2025年に外観の大規模修繕を経て、現在に至る。
2009年以降、団体メンバーが実務を担うことで当団体としての知見を活用し、村野建築としての価値はもとより、画廊のために大阪財界の支援で建築されたその由緒と経済合理性をバランスさせる協力を続けている。