栗原邸

国登録有形文化財

中村鎮(まもる)によって発明された通称「鎮(ちん)ブロック」を用いて、それを剥き出しにして建設された住宅。同じ方法で造られた本野精吾自邸(1924年)が機能性と合理性を徹底したものであったのに対して、栗原邸では、室内にウイーン工房やアールデコ風の装飾や電燈、家具などが配され、施主の染色家鶴巻鶴一によるろうけつ染の襖絵もあるなど、装飾性に富み、より豊かな表情を持つものとなっている。

竣工年
1929年(昭和4年)
所在地
京都市
構造・規模
鉄筋コンクリート造、地上3階
敷地面積
1919.73㎡(580.72坪)
延床面積
394.41㎡(119.31坪)(1階182.07㎡, 2階162.77㎡, 3階49.57㎡)
設計者
本野精吾
施工者
岡田工務店

本野精吾(1882〜1944)
父は鍋島藩の出で大蔵省に勤務し、後に読売新聞社の創業者として活躍した本野盛亨(もりみち)。本野精吾は、大正期から昭和初期にかけて京都を中心に活躍した建築家。日本におけるモダニズム建築の先駆者のひとり。ドイツのペーター・ベーレンスの影響を受け、建築のみならず、家具やグラフィックデザイン、食器、工業デザイン、エスペラント語の普及など幅広く活動した。

当初、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)校長、鶴巻鶴一(1873-1942)の邸宅として建てられた。鶴巻は廃れていたろうけつ染を復興するなど、その染色技術や技法の研究は、社会変化に直面していた京都の染色産業へ大きな貢献を果たした。1941年より、大阪の広告代理店、萬年社の社長であった栗原伸の邸宅となり、現在はその子息が所有している。